1492年10月14日(明応元年9月23日)、島津忠良が薩摩国伊作で生まれました。忠良は伊作島津家の出身で、のちに相州家も継ぎます。当時の島津宗家は一族や国衆の対立で支配が揺らいでおり、忠良はその内紛を収拾する側へ成長していきました。
忠良は子の貴久を島津宗家の後継者とし、父子で薩摩統一を進めました。1550年に加世田へ退いた後も貴久を支え、孫の義久・義弘らが大隅、日向へ勢力を伸ばすための基礎を整えます。このため忠良は「島津中興の祖」と呼ばれています。
忠良は日新斎と号し、神道、儒教、仏教の教えを踏まえた「日新公いろは歌」を作ったとされます。47首の歌は人の生き方や指導者の心得を説き、後世の薩摩藩で郷中教育のよりどころとなりました。忠良の誕生は、戦国島津氏の再建だけでなく、その後の家臣教育へ長く受け継がれる思想の出発点でもありました。