1646年8月28日(正保3年7月18日)、津軽信政が生まれました。父は弘前藩第3代藩主の津軽信義で、信政はその長男です。1655年に父が亡くなると、まだ10歳だった信政が家督を継ぎ、第4代藩主となりました。
幼少での相続だったため、藩政は家臣団の補佐を受けて始まりました。成長後の信政は、新田開発や治水、産業の育成に力を入れ、学問や文化も奨励します。信政の治世は1656年から1710年まで50年以上に及び、短期の事業というより、長い時間をかけて弘前藩の統治と生産基盤を整えていく時代となりました。
信政は歴代藩主のなかでも「名君」と称され、死後は高照神社に祭られて「高岡様」と呼ばれました。もちろん、長期にわたる藩政は多くの家臣や領民の働きによって支えられたものです。それでも、幼くして家督を継いだ信政の誕生は、弘前藩の半世紀を超える安定した治世の出発点となりました。その評価は、現在の弘前に残る文化財や祭祀にも受け継がれています。