命日

浅野幸長が亡くなる

1613年10月9日(新暦)

慶長18年8月25日(旧暦)

浅野幸長の人物画像

1613年10月9日(慶長18年8月25日)、紀伊を治めた浅野幸長が亡くなりました。数え38でした。幸長は浅野長政の長男で、豊臣政権のもとで朝鮮へ渡り、関ヶ原の戦いでは東軍に属しました。戦後、紀伊37万6千石余を与えられ、和歌山城主となります。

幸長は和歌山城の石垣や城郭を整え、領内で検地を行いました。和歌浦天満宮の社殿造営などにも関わり、関ヶ原後の紀伊支配を形づくっていきます。しかし新しい領国へ入ってから13年ほどで亡くなり、男子を残していませんでした。

家督と紀伊は弟の長晟が継ぎました。長晟は翌年からの大坂の陣で徳川方として戦い、1619年には安芸・備後42万6千石へ加増転封されます。以後、浅野家は明治維新まで広島を治めました。幸長の死は紀伊で進めていた統治を弟へ渡し、浅野家の本拠がやがて広島へ移るきっかけとなった代替わりでした。

出典

広島市立図書館『広島藩歴代藩主紹介』: https://www.library.city.hiroshima.jp/assets/pdf/hiroshima/asano/asano400/kikaku_panel_rekidai_2019.pdf 広島市立図書館「広島ゆかりの人物情報」: https://www.library.city.hiroshima.jp/hiroshima/local/person.html 和歌山市「史跡 和歌山城 追加指定答申」: https://www.city.wakayama.wakayama.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/036/134/20210621.pdf 和歌山県『和歌の浦学術調査報告書』: https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/500700/bunkazaihoukokusho_d/fil/wakanouragakujutsu.pdf Wikipedia「浅野幸長」: https://ja.wikipedia.org/wiki/浅野幸長