命日
フランシスコ・ザビエルが亡くなる
1552年12月3日(新暦)
1552年12月3日、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが、中国南部の上川島で亡くなりました。46歳でした。中国での宣教を目指して大陸への入国を待っていた途中の死で、日本を離れてから約1年後のことです。
ザビエルはイグナチオ・ロヨラらとともにイエズス会の創設に加わり、アジアで宣教活動を行いました。1549年8月15日、鹿児島出身のヤジロウらとともに鹿児島へ上陸します。その後、平戸、山口、京都、豊後府内などを訪れ、各地の領主や住民と接触しながらキリスト教を伝えました。
京都では天皇との面会を望みましたが実現せず、山口では大内義隆から布教の許可と活動場所を得ました。豊後では大友義鎮と会見します。ザビエルが日本に滞在したのは2年余りでしたが、後を託された宣教師や日本人信者によって活動は続き、九州や山口を中心にキリスト教共同体が形成されていきました。
1551年11月に日本を離れたザビエルは、東アジアで大きな影響を持つ中国での宣教を計画しました。しかし上川島で病に倒れ、大陸へ入ることなく亡くなります。1622年にはカトリック教会の聖人に列せられました。その命日は、戦国期の日本が海上交易と宗教活動を通じて世界と結ばれた転機を振り返る日です。
出典
カトリック中央協議会「聖フランシスコ・ザビエル」、https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/saintbeato/xavier/ (閲覧日:2026-09-30)
鹿児島県歴史・美術センター黎明館「聖フランシスコ=ザビエル像」、https://www.pref.kagoshima.jp/ab23/reimeikan/josetsu/theme/chusei/christ/kgs02_s6_5.html (閲覧日:2026-09-30)
鹿児島市「ザビエル滞麓記念碑」『かごしま市史跡めぐりガイドブック』、https://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kanri/bunkazai/documents/sisekimeguri05_chuou.pdf (閲覧日:2026-09-30)
大分市『大分市歴史的風致維持向上計画』第1章「フランシスコ・ザビエル」、https://www.city.oita.oita.jp/o169/rekimachi/documents/1syou.pdf (閲覧日:2026-09-30)