1624年8月26日(寛永元年7月13日)、福島正則は信濃国高井野で亡くなりました。正則は豊臣秀吉のもとで賤ヶ岳の戦いなどに功を挙げ、関ヶ原の戦いでは東軍に属しました。戦後は安芸・備後を領する大名となりましたが、晩年には広島城の修築をめぐって幕府から処分を受けています。
洪水で傷んだ広島城を修築した際の届出と許可の経緯が問題とされ、正則は大幅に領地を減らされて信濃高井野へ移されました。高井野では隠居に近い生活を送り、嫡男忠勝の死後には所領の一部を幕府へ返上しています。大大名として築いた立場から遠く離れた土地で迎えた最期でした。
正則の死後、家臣が幕府の検使を待たずに遺体を火葬したことが問題となり、残る所領も没収されました。これによって高井野を治めた福島家の領地は幕府に収公されます。正則の死は一人の武将の終幕だけでなく、豊臣政権で台頭した大名家が幕府の法と手続のもとで領主としての地位を失う節目となりました。