命日

本多忠勝が亡くなる

1610年12月3日(新暦)

慶長15年10月18日(旧暦)

本多忠勝を描いた人物画像

1610年12月3日(慶長15年10月18日)、徳川家康に仕えた本多忠勝が伊勢国桑名で亡くなりました。数え63歳でした。忠勝は家康の主要な家臣として戦国期の合戦を戦い、のちに上総大多喜、伊勢桑名を治めた大名です。

忠勝は三河国で生まれ、幼いころから家康に仕えました。三河一向一揆や姉川、長篠、小牧・長久手など、徳川氏の存続と勢力拡大に関わる戦いへ出陣します。豊臣秀吉によって家康が関東へ移されると、忠勝は上総国大多喜を与えられ、徳川領の東方を守る役割を担いました。

1600年の関ヶ原の戦いでも家康方として行動し、戦後の1601年に伊勢国桑名へ移ります。桑名は東海道と水運が交わる交通の要地でした。忠勝は桑名城を大規模に改修し、城下町の形成を進めます。戦場で家康を支えた武将が、徳川政権成立後には城と地域を治める大名へ役割を変えたことが分かります。

1609年、忠勝は家督を嫡男の忠政へ譲り、翌年に亡くなりました。忠政は桑名藩主を継ぎ、のちに姫路藩主となります。忠勝の死は、家康の統一戦争を支えた世代から、幕藩体制のもとで領国を運営する次の世代への交代でした。

出典

岡崎市「市指定:史跡 本多忠勝誕生地」、https://www.city.okazaki.lg.jp/bunka/torikumi_bunka/1004568/1004592/1004726/1004739.html (閲覧日:2026-09-30) 三重県「桑名城跡」、https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/Miebunka/detail?cls=cult_col01&pkey=0000000435 (閲覧日:2026-09-30) Wikipedia contributors「本多忠勝」、https://ja.wikipedia.org/wiki/本多忠勝 (西暦日付、旧暦、家督継承時期の確認、閲覧日:2026-09-30)