命日
細川藤孝が亡くなる
1610年10月6日(新暦)
慶長15年8月20日(旧暦)
1610年10月6日(慶長15年8月20日)、細川藤孝が京都で亡くなりました。幽斎の号で知られる藤孝は、すでに1582年に家督を嫡男の忠興へ譲っていましたが、その後も豊臣秀吉や徳川家康に仕え、武将と歌人の両面で活動を続けました。
晩年を象徴する出来事が、1600年の田辺城籠城です。関ヶ原の戦いに先立ち、西軍に包囲された藤孝は50日余り城を守りました。藤孝が古今伝授の継承者だったため、その死と歌学の断絶を惜しんだ後陽成天皇が勅使を送り、開城が仲介されたと伝わります。籠城は西軍の兵を丹後に引きつけ、東軍に属した細川家の戦いを支えました。
関ヶ原後、忠興は豊前・豊後へ加増転封され、藤孝は京都で晩年を送りました。古今伝授をはじめとする歌学は、烏丸光広や中院通勝らへ受け継がれます。藤孝の死は家督交代ではなく、戦国の政治を生き抜いた武将が、宮廷文化の知識を近世へ渡した長い活動の終わりでした。
出典
ブリタニカ国際大百科事典「細川幽斎」(コトバンク): https://kotobank.jp/word/細川幽斎-14979
舞鶴市「舞鶴ふるさと発見館だより 令和4年9月号」: https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kyouiku/0000010324.html
舞鶴市「田辺城資料館」: https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kyouiku/category/6-1-21-0-0-0-0-0-0-0.html
舞鶴市『舞鶴市文化財保存活用地域計画』: https://www.city.maizuru.kyoto.jp/kyouiku/cmsfiles/contents/0000008/8797/maizuru_chiikikeikaku.pdf
Wikipedia「細川藤孝」: https://ja.wikipedia.org/wiki/細川藤孝