命日

細川ガラシャが亡くなる

1600年8月25日(新暦)

慶長5年7月17日(旧暦)

細川ガラシャ の人物画像

1600年8月25日(慶長5年7月17日)、細川ガラシャは大坂の細川屋敷で亡くなりました。徳川家康が上杉景勝への出兵で大坂を離れると、石田三成方は大坂に残る諸大名の妻子を人質に取り、西軍へ従わせようとしました。細川忠興の正室ガラシャも、その対象となりました。

屋敷を包囲されたガラシャは人質となることを拒みました。キリスト教の教えによって自害を避け、家臣に胸を突かせたのち、屋敷には火が放たれたと伝わります。ただし、屋敷内でのやり取りや最期の言葉には後世の叙述も含まれるため、細部を一つの形に断定することはできません。

ガラシャの死は、人質を集めて大名を統制しようとした西軍側に大きな衝撃を与えました。他家の妻子を強引に人質とする動きが進みにくくなり、関ヶ原の戦いを前にした諸大名の態度にも影響したとされます。個人の信仰と大名家の政治が交差した最期であり、戦場の外で進んだ関ヶ原前夜の重要な出来事でもあります。

出典

https://ja.wikipedia.org/wiki/細川ガラシャ https://www.city.osaka.lg.jp/chuo/page/0000637371.html https://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000013608.html