命日

今井宗久が亡くなる

1593年8月31日(新暦)

文禄2年8月5日(旧暦)

今井宗久の人物画像

1593年8月31日(文禄2年8月5日)、堺の豪商・茶人である今井宗久が亡くなりました。宗久は大和から堺へ移り、武野紹鴎に茶の湯を学んでその女婿となりました。商人として財を築くだけでなく、名物茶器と茶の知識を持つ人物として武家政権へ接近します。

織田信長が堺を支配下に置くと、宗久は信長に仕え、摂津五ヶ庄や生野銀山の代官職などを務めました。豊臣秀吉の時代にも茶会へ参加し、千利休、津田宗及とともに茶の三大宗匠と称されます。茶の湯は単なる趣味ではなく、権力者と商人、大名を結ぶ政治的な交流の場でもありました。

宗久が残した茶会記は、誰がどのような道具を用い、どのような席を開いたかを知る史料となっています。その死は、信長・秀吉の政権と堺を結んだ茶人商人の一代が終わったことを意味しました。一方で、宗久の記録と茶道具は、戦国期の茶の湯と堺商人の活動を現在へ伝えています。

出典

https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/sakai/keisho/senjintachi/sonota.html https://ja.wikipedia.org/wiki/今井宗久