命日

伊東祐兵が亡くなる

1600年11月16日(新暦)

慶長5年10月11日(旧暦)

伊東祐兵を描いた人物画像

1600年11月16日(慶長5年10月11日)、日向国飫肥の領主・伊東祐兵が亡くなりました。42歳でした。祐兵は、父・伊東義祐の代に日向を追われた伊東氏を再興し、飫肥へ戻った人物です。

伊東氏は日向で島津氏と争いましたが、1577年に本拠を失い、義祐と祐兵らは豊後国の大友氏を頼りました。翌年の耳川の戦いで大友・伊東方が敗れると、一族はさらに流浪します。祐兵はその後、羽柴秀吉に仕えました。

1587年、秀吉が九州平定に乗り出すと、祐兵は軍勢の案内役を務めます。その功により日向の所領を与えられ、翌年には伊東氏が長く島津氏と争ってきた飫肥城へ復帰しました。失領から十余年を経て、伊東氏の領国支配を再建したことになります。

関ヶ原の戦いでは徳川方に属しましたが、祐兵は病身で、その年のうちに亡くなりました。家督は子の祐慶が継ぎ、伊東家は飫肥藩主として明治維新まで続きます。祐兵の死は、流浪から旧領回復までを担った世代から、飫肥藩を整える次の世代への交代でした。

出典

コトバンク「伊東祐兵」(『改訂新版 世界大百科事典』『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』)、https://kotobank.jp/word/伊東祐兵-1055065 (閲覧日:2026-09-30) 高鍋町「高鍋の歴史と文化」、https://www.town.takanabe.lg.jp/choseijoho/takanabemachi/1026.html (日向の戦国史確認、閲覧日:2026-09-30) Wikipedia contributors「伊東祐兵」、https://ja.wikipedia.org/wiki/伊東祐兵 (西暦日付と家督継承の確認、閲覧日:2026-09-30) 戦国探訪録「伊東義祐が亡くなる」、https://sengoku-tanbou.jp/history/deaths/ (既存記事との書き分け確認、閲覧日:2026-09-30)