1590年10月12日(天正18年9月14日)、狩野派の絵師・狩野永徳が亡くなりました。48歳でした。永徳は祖父・狩野元信、父・松栄に続く絵師の家に生まれ、織田信長や豊臣秀吉のもとで、安土城、大坂城、聚楽第などの障壁画制作を担いました。
城郭や御殿を飾った作品の多くは建物とともに失われましたが、「唐獅子図屏風」や「檜図屏風」などに、巨大な画面へ力強く主題を配する作風が伝わります。「檜図屏風」は永徳が急逝した1590年ごろの制作とみられ、最晩年の仕事を考えるうえでも重要な作品です。
永徳の死後、狩野派の工房は長男の光信らへ引き継がれました。永徳が権力者の大規模造営に応じて確立した豪壮な障壁画は、桃山美術を象徴する表現となり、狩野派が江戸時代まで画壇の中心を占める基礎にもなりました。