1624年10月17日(寛永元年9月6日)、高台院が亡くなりました。76歳でした。高台院は豊臣秀吉の正室で、北政所、ねねなどの名でも知られます。秀吉が天下人となる過程をともに歩み、豊臣政権では大名の妻や家臣たちと交流し、奥向きを支えました。
1598年に秀吉が亡くなると、高台院は出家して高台院湖月尼と号しました。1603年に後陽成天皇から高台院の号を受け、秀吉の菩提を弔うため京都東山に高台寺を建立します。伏見城の化粧御殿を移した圓徳院の地に住み、関ヶ原の戦いと大坂の陣を経た後も、京都で豊臣家ゆかりの人々を見守りました。
高台院は高台寺の霊屋に秀吉とともに祀られています。高台寺は豊臣家の菩提寺として、秀吉と高台院の像や桃山時代の工芸を現在へ伝えました。高台院の死は、秀吉の時代を最も近くで支えた人物が、徳川政権下で豊臣家の記憶と供養を次代へ託した節目でした。