1604年9月15日(慶長9年8月22日)、能島村上氏の当主・村上武吉が周防大島で亡くなりました。享年72と伝わります。武吉は瀬戸内海の航路を押さえた村上海賊の一人で、毛利氏と結び、海上の軍事力だけでなく船の通行や交易にも影響力を持ちました。
しかし、豊臣秀吉が全国支配を進めて海賊停止令を出すと、海上勢力を取り巻く環境は変わります。武吉ら能島村上氏は本拠の能島を離れ、小早川氏や毛利氏のもとで移住を重ねました。1600年の関ヶ原の戦いに伴う伊予での戦いでは、家督を譲っていた子の元吉が戦死します。
武吉は翌1601年から周防大島の和田で暮らし、3年後に生涯を閉じました。かつて独自に海を支配した能島村上氏は、近世には毛利家臣として存続していきます。武吉の死は、瀬戸内の海上領主として活動した一族が、陸上の大名権力に組み込まれていく時代の節目でもありました。