命日

南部信直が亡くなる

1599年11月22日(新暦)

慶長4年10月5日(旧暦)

南部信直を描いた人物画像

1599年11月22日(慶長4年10月5日)、南部信直が陸奥国の福岡城で亡くなりました。信直は家中の争いを経て南部氏の当主となり、豊臣政権のもとで領国を確定させ、盛岡城の築城を始めた人物です。

信直は南部晴政の養嗣子となりましたが、のちに晴政と対立し、南部家中では後継をめぐる争いが続きました。1582年に当主となった後、津軽地方では大浦為信が自立し、領国の再編を迫られます。1590年、豊臣秀吉の小田原攻めへ参陣して南部領を認められ、翌年には豊臣軍の支援を受けて九戸政実の乱を平定しました。

乱の後、信直は本拠を三戸から福岡へ移し、さらに北上川と中津川が流れる不来方の地に新城を築く計画を進めます。1597年には嫡男・利直を総奉行として盛岡城の築城を始めました。盛岡市の資料では、1599年に工事が進んだ城へ信直が入ったものの、病状の悪化により福岡城へ戻って亡くなったとされています。

家督は利直が継ぎ、盛岡城と城下町の建設も引き継がれました。信直の死は、戦国期の家督争いと奥州仕置をくぐり抜けた南部氏が、盛岡を中心とする近世大名領国へ移る途中で起きた世代交代でした。

出典

盛岡市『史跡盛岡城跡保存活用計画』、https://www.city.morioka.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/048/137/hozonkatuyou.pdf (閲覧日:2026-09-30) 盛岡市教育委員会『第1期保存整備事業報告書 史跡盛岡城跡』、https://sitereports.nabunken.go.jp/files/attach/34/34825/64883_1_盛岡城跡.pdf (閲覧日:2026-09-30) 櫻山神社「櫻山神社について」、https://www.sakurayamajinja.jp/about (閲覧日:2026-09-30) Wikipedia contributors「南部信直」、https://ja.wikipedia.org/wiki/南部信直 (西暦日付の確認、閲覧日:2026-09-30) 戦国探訪録「南部利直が亡くなる」、https://sengoku-tanbou.jp/history/deaths/ (既存記事との書き分け確認、閲覧日:2026-09-30)