命日

大政所が亡くなる

1592年8月29日(新暦)

天正20年7月22日(旧暦)

大政所 の人物画像

1592年8月29日(天正20年7月22日)、豊臣秀吉の母・大政所が亡くなりました。秀吉の出世に伴って厚く遇され、1585年には大政所の号を受け、翌年には従一位に叙されています。実名や生年には諸説があり、秀吉の出生をめぐる後世の逸話と史実は分けて考える必要があります。

大政所は、秀吉と徳川家康の関係を動かす場面にも登場します。家康に上洛を決意させる交渉で、秀吉は妹の旭姫を家康の正室として送り、さらに大政所を岡崎へ赴かせました。名目は娘を訪ねるためでしたが、家康に対する事実上の人質という政治的な意味を持っていました。

大政所が危篤となったとき、秀吉は朝鮮出兵の拠点である肥前名護屋にいました。知らせを受けて帰京を急いだものの、最期には間に合わなかったとされます。母の死は秀吉個人の喪失であるとともに、家族関係を政権運営や大名交渉に組み込んできた豊臣政権にとって、一つの節目となりました。その葬送もまた、天下人の母にふさわしい政治的な儀礼となりました。

出典

https://ja.wikipedia.org/wiki/大政所 https://www.city.nagoya.jp/nakamura/miryoku/1020748/1020753/1020762/1020763.html https://www.museum.city.nagoya.jp/activity/staff/topics/index.html