命日
大内政弘が亡くなる
1495年10月6日(新暦)
明応4年9月18日(旧暦)
1495年10月6日(明応4年9月18日)、大内政弘が山口で亡くなりました。政弘は父・教弘の死後に大内氏当主となり、応仁の乱では西軍の主力として長く京都に滞在しました。乱の終結後に帰国すると、周防・長門を中心とする領国の立て直しに取り組みました。
晩年の政弘は中風を患っていました。大内文化まちづくりの解説によれば、政弘は死去のおよそ4か月前に嫡男の義興へ家督を譲り、その後、病が再発して山口の寓居で亡くなりました。戦陣で最期を迎える当主も多かった大内氏のなかで、領国の中心で後継を定めてから死去した点が特徴的です。
義興は政弘の死によって名実ともに大内氏を率いる立場となりました。のちに前将軍足利義稙を山口へ迎え、1507年には義稙を奉じて上洛します。政弘の死は、応仁の乱を戦った世代から、中央政界へ再び進出する義興の世代へ、大内氏の主導権が移った節目でした。
出典
大内文化まちづくり「大内氏の隆盛」: https://ouchi-culture.com/discover/discover-241/
大内文化まちづくり「できごと年表」: https://ouchi-culture.com/history/
山口市観光情報サイト「大内氏関連年表」: https://www.yamaguchi-city.jp/history/ouchi_chronology.html
山口県「大内氏の領国経営と文化」: https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/sp/support/theme/oouti/onaka.html
Wikipedia「大内政弘」: https://ja.wikipedia.org/wiki/大内政弘