命日

大内義隆が亡くなる

1551年9月30日(新暦)

天文20年9月1日(旧暦)

大内義隆の人物画像

1551年9月30日(天文20年9月1日)、周防・長門の戦国大名・大内義隆が、長門の大寧寺で自害しました。重臣の陶隆房が挙兵して山口へ迫ると、義隆は法泉寺に入って抵抗を試みます。しかし兵の離脱が相次ぎ、山口を離れて北へ逃れました。

義隆は長門の仙崎から船で脱出しようとしましたが、海へ出ることができず、深川の大寧寺へ引き返しました。寺では住持の異雪慶珠から戒を受け、冷泉隆豊ら近臣が追撃する陶軍を防ぐなかで最期を迎えます。戦いによって寺の堂宇も焼け、義隆に従った家臣たちの多くが命を落としました。

義隆の子・義尊も逃げ切れずに殺害され、義隆の直系による大内氏の継承は途絶えました。隆房は大友晴英を新当主に迎えて大内義長と名乗らせ、自らが実権を握ります。山口で文化と交易を支えた当主の死は、大内氏内部の政権交代にとどまらず、領国の求心力が失われていく決定的な節目となりました。

出典

山口県「大内義隆主従の墓所」: https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/sp/bunkazai/summary.asp?mid=10036 大寧寺「大寧寺物語 義隆長門に奔る 第一話 山口落城」: https://www.taineiji.jp/episode/epi_b09.html 大寧寺「大内義隆公墓所」: https://www.taineiji.jp/info/ohouchi.html 山口県文書館『第14回中国四国地区アーカイブズウィーク』資料: https://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/archivesexhibition/AW14%20jouhoutokiroku/05.pdf