命日
千少庵が亡くなる
1614年10月10日(新暦)
慶長19年9月7日(旧暦)
1614年10月10日(慶長19年9月7日)、茶人の千少庵が亡くなりました。少庵は千利休の後妻・宗恩の子で、利休の養子となって茶の湯を学びました。1591年に利休が豊臣秀吉の命で自刃すると、千家の人々は離散し、少庵は会津の蒲生氏郷のもとへ身を寄せます。
利休の死から3年後の1594年、徳川家康と氏郷の取りなしによって秀吉から帰京を許されました。京都へ戻った少庵は、大徳寺で修行していた子の宗旦とともに千家を再興します。利休の茶室や道具、茶の作法を受け継ぎながら、公家、大名、僧侶、町衆らとの交流を広げ、途絶えかけた千家の基盤を立て直しました。
死を迎えた1614年、少庵は大徳寺の玉室宗珀に遺産処分の後見を頼み、宗旦へ後を託したと伝わります。宗旦が千家3代となり、その息子たちの代から表千家、裏千家、武者小路千家へ続く流れが生まれました。少庵の死は、再興した千家を次代へ確実に渡した節目でした。
出典
表千家不審菴「表千家について」: https://www.omotesenke.jp/about-omotesenke/
表千家不審菴「利休の後継と千家の再興」: https://www.omotesenke.jp/list3/list3-3/list3-3-1/
裏千家「千少庵と千家の再興」: https://www.urasenke.or.jp/archives/textm/senyo/magazine/backnumber/bn131015.html
裏千家「裏千家歴代」: https://www.urasenke.or.jp/textc/about/spirit4.html
会津若松市『鶴ヶ城みりょく発見パンフレット 歴史人物編』: https://www.city.aizuwakamatsu.lg.jp/docs/2022122600027/file_contents/1.pdf