1502年9月1日(文亀2年7月30日)、連歌師の宗祇が箱根湯本で亡くなりました。宗祇は、一人が詠んだ句に別の人が句を付け、長い作品へつなぐ連歌を室町時代後期に大成した人物です。京都だけにとどまらず、武家や地方の文化人を訪ねて各地を旅しました。
その活動は応仁の乱後の不安定な社会と重なります。宗祇は旅先で連歌会を開き、古典の知識を伝え、身分や地域を越えた文化交流を支えました。肖柏・宗長と詠んだ『水無瀬三吟百韻』、宗祇を中心に編集された准勅撰連歌集『新撰菟玖波集』は、その仕事を代表する作品です。
晩年も宗祇は東国への旅を続け、その途中で箱根湯本に没したと伝わります。旅は単なる移動ではなく、連歌を各地へ広げる活動そのものでした。宗祇の死後、その作法と古典解釈は肖柏や宗長らの弟子へ受け継がれます。箱根で迎えた最期は、諸国を結んだ旅の連歌師にふさわしい生涯の終着点となりました。