1555年10月16日(天文24年10月1日)、陶晴賢が厳島の戦いで敗れ、自害しました。晴賢は大内義隆の重臣でしたが、1551年の大寧寺の変で主君を滅ぼし、豊後大友氏から迎えた大内義長を当主に立てて大内氏領国の実権を握っていました。
晴賢と毛利元就の対立が深まると、晴賢は大軍を率いて厳島へ渡り、宮尾城を攻めました。元就は夜のうちに島へ渡って主力を上陸させ、翌朝、城方と呼応して陶軍を挟撃します。退路を失った陶軍は崩れ、晴賢は島内を逃れた末に自害しました。
晴賢の死によって、大内義長を支えていた中心人物が失われました。元就はこの勝利を足がかりに周防・長門へ進出し、1557年には義長を自害させて大内氏を滅ぼします。晴賢の最期は、大内氏に代わって毛利氏が中国地方の有力勢力へ成長する転換点となりました。