1561年10月18日(永禄4年9月10日、ユリウス暦)、武田信繁が第四次川中島の戦いで討死しました。現在のグレゴリオ暦では10月28日にあたります。信繁は武田信玄の同母弟で、父・信虎から兄以上に期待されたとも伝わりますが、信玄が家督を継いだ後は兄を支えました。
信繁は武田一門の有力者として、信濃攻略など各地の戦いに参加しました。家中での心得を記したとされる「武田信繁家訓」は、後世に伝わる武家家訓として知られています。第四次川中島の戦いでは武田軍本陣に近い部隊を率い、上杉軍の攻撃を受ける激戦のなかで命を落としました。
この戦いでは信繁のほか、諸角虎定や山本勘助らも討死し、武田軍は多くの重臣を失いました。信繁の子孫は武田家滅亡後も存続し、江戸時代には徳川家に仕えます。信繁の死は、信玄が領国と軍を広げる過程を支えた弟を失っただけでなく、武田家中の世代交代を迫る大きな損失でした。