命日
天海が亡くなる
1643年11月13日(新暦)
寛永20年10月2日(旧暦)
1643年11月13日(寛永20年10月2日)、天台僧の天海は江戸上野の寛永寺で亡くなったとされます。天海の生年には諸説があり、108歳で没したという伝承もそのまま事実とは断定できません。また、命日を10月1日とする記録もありますが、辞典類では10月2日が広く採られています。
天海は徳川家康の信任を得て川越喜多院や日光山の復興に携わり、家康の死後には遺骸を久能山から日光へ移す事業を主導しました。秀忠・家光にも仕え、1625年には江戸城の北東に寛永寺を開きます。寺院の再興や創建を通じて、徳川政権の宗教的な基盤づくりに大きな役割を果たしました。
晩年の天海は、木製活字を用いた大蔵経の刊行を計画し、寛永寺に経局を設けました。しかし、その完成を見る前に亡くなります。事業は弟子たちに引き継がれ、1648年に「天海版大蔵経」として完成しました。天海の死は一人の高僧の最期であると同時に、彼が始めた寺院と出版の事業が次代へ託された節目でした。
出典
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%B5%B7-18918
https://www.ndl.go.jp/zoshoin/collection/17.html
https://www.city.taito.lg.jp/gakushu/shogaigakushu/shakaikyoiku/bunkazai/yuukeibunkazai/tenseki/daishidenki.html
https://www.city.kawagoe.saitama.jp/kurashi/bunka/1003787/1003798/1003884/1003925/1003964.html
https://www.soumu.metro.tokyo.lg.jp/01soumu-archives/06kanko_butsu/0601sisiko/0601shigai/0601shigai05