命日

藤堂高虎が亡くなる

1630年11月9日(新暦)

寛永7年10月5日(旧暦)

藤堂高虎を描いた人物画像

1630年11月9日(寛永7年10月5日)、津藩主の藤堂高虎は江戸の藤堂藩邸で亡くなりました。近江の土豪の家に生まれた高虎は、浅井氏や豊臣秀長ら複数の主君に仕え、戦功を重ねて大名となった人物です。豊臣秀吉の死後は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いや大坂の陣でも徳川方として戦いました。

高虎は築城や城の改修でも知られ、今治城をはじめ、膳所城、丹波亀山城、江戸城などに関わりました。1608年には伊予今治から伊賀・伊勢へ移り、津城と伊賀上野城を拠点に領国を整えます。外様大名でありながら大坂に近い要地を任されたことは、家康から寄せられた信頼の厚さを示しています。

晩年も日光東照宮の造営などに携わり、領地は伊勢・伊賀を中心に32万石余へ拡大しました。高虎の死後は次男の高次が家督を継ぎ、藤堂家による津藩支配を引き継ぎます。主君を替えながら乱世を生き抜いた高虎の死は、一代で大名家を築いた創業者から、藩を維持する次の世代への節目となりました。

出典

https://www.info.city.tsu.mie.jp/kosodate_kyouiku/kyouikuiinkai/1004357/1004663/1004713/1004739.html https://www.info.city.tsu.mie.jp/kosodate_kyouiku/kyouikuiinkai/1004357/1004663/1004713/1004738.html https://www.pref.shiga.lg.jp/ab00/23188.html https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55579038652.htm https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82%E9%AB%98%E8%99%8E