1561年10月18日(永禄4年9月10日、ユリウス暦)、山本勘助が第四次川中島の戦いで討死したとされています。現在のグレゴリオ暦では10月28日にあたります。勘助は武田信玄に仕えた武将で、後世の軍記『甲陽軍鑑』では軍略に優れた人物として描かれました。
第四次川中島の戦いでは、上杉政虎の軍が武田軍本陣へ激しく攻めかかりました。勘助は自ら立てた作戦が破られた責任を感じて敵中へ突入し、討死したと伝わります。ただし、この具体的な最期は軍記に基づくものであり、当日の行動を同時代史料から詳細に確定することはできません。
勘助はかつて実在そのものを疑われた時期もありましたが、「山本菅助」と記された同時代の書状が確認され、武田氏に仕えた人物の存在は裏付けられています。一方、生年には1493年説と1500年説があり、経歴にも不明点が残ります。勘助の死は、史料で確認できる武田家臣の姿と、軍師として広まった後世の物語とを区別して見る必要がある出来事です。