出来事

武家諸法度(元和令)が発布される

1615年8月30日(新暦)

慶長20年7月7日(旧暦)

1615年8月30日(慶長20年7月7日)、江戸幕府は伏見城で諸大名に武家諸法度を示しました。大坂夏の陣で豊臣氏が滅んだ直後のことで、全国の大名が従うべき原則を明文化し、戦乱後の秩序を整える狙いがありました。

最初の武家諸法度は13か条からなり、文武を励むこと、諸国の居城を勝手に修築しないこと、大名が幕府の許可なく婚姻しないことなどを定めました。徳川家康が内容を構想し、僧の金地院崇伝が起草して、将軍徳川秀忠の名で発布されたとされます。大名の私的な軍事力や同盟関係を幕府の統制下に置く内容でした。

武家諸法度は一度定めて終わった法令ではなく、将軍の代替わりに合わせて改訂されました。参勤交代が明文化されるのは、1635年の寛永令です。元和令は後代の制度をすべて最初から含んでいたわけではありませんが、大名統制の基本的な枠組みを示し、幕府と大名の関係を法によって整える出発点となりました。戦時の主従関係を、平時の統治規則へ移す意味も持っていました。

出典

https://ja.wikipedia.org/wiki/武家諸法度 https://www.digital.archives.go.jp/file/3142769 https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/contents3_02/04/