1622年9月10日(元和8年8月5日)、長崎の西坂で宣教師、修道者、信徒とその家族ら55人が一斉に処刑されました。後に「元和の大殉教」と呼ばれる事件です。西坂は1597年に日本二十六聖人が処刑された場所でもあり、その後も多くのキリスト教徒が命を奪われました。
江戸幕府は1614年に全国へ禁教令を出し、宣教師の国外追放と教会の破壊を進めていました。それでも国内に残って宣教を続けた者や、彼らをかくまい支援した信徒が各地で捕らえられます。この日に処刑された55人にも、外国人と日本人の聖職者だけでなく、信仰や支援を理由に捕らえられた人々とその家族が含まれていました。
これほど多くの人々を同時に処刑した事件は、禁教政策が個々の宣教師だけでなく、信徒の家族や支援者にも及んでいたことを示します。元和の大殉教の後、幕府によるキリシタンの捜索と弾圧はさらに強まりました。事件は、長崎が海外交流とキリスト教文化の窓口であった一方、厳しい禁教政策の前線にもなった歴史を伝えています。