1609年9月20日、オランダ東インド会社が肥前国平戸に日本商館を開設しました。オランダ船はその9年前に豊後へ漂着しており、生き残った乗組員の中には、後に徳川家康へ仕えたウィリアム・アダムスもいました。東インド会社は家康から通商を認める朱印状を得て、平戸を日本貿易の拠点とします。
商館の設置には、海外貿易を進めていた平戸城主・松浦氏の支援がありました。当初の商館は土蔵付きの住宅一軒を借りた小規模なものでしたが、交易の拡大に合わせて倉庫、宿泊所、埠頭などが次々と整備されます。平戸には中国船やポルトガル船も訪れており、東アジアとヨーロッパを結ぶ港町として栄えました。
幕府の対外政策が長崎へ集中すると、1641年にオランダ商館は出島へ移転を命じられます。平戸での日蘭貿易は約33年で終わりましたが、オランダとの関係はその後も続きました。商館の開設は、江戸時代を通じて維持される日蘭交流の出発点であり、平戸が国際貿易港として歩んだ歴史を象徴する出来事です。