1596年9月5日(文禄5年閏7月13日)、畿内を大地震が襲いました。後世に「慶長伏見地震」と呼ばれる地震で、推定規模はマグニチュード7.5前後です。京都では三条から伏見にかけて被害が特に大きく、寺社や民家が多数倒壊しました。
豊臣秀吉が築いていた指月の伏見城も天守をはじめ大きく壊れ、城内では約600人が圧死したとされます。秀吉は難を逃れましたが、城は放棄され、木幡山に新しい伏見城が築かれました。被害は京都だけではなく、大坂、堺、神戸などにも広がり、多数の死者が出たと記録されています。
この地震は、京阪神・淡路地域の活断層の活動によって起きた内陸地震と考えられています。なお、発生時の元号はまだ文禄で、慶長への改元は同年10月でした。「慶長伏見地震」は後世の呼称です。城の倒壊だけでなく、広い地域の社会と町を揺るがし、秀吉の城づくりにも直接影響した災害でした。