1587年11月1日(天正15年10月1日)、豊臣秀吉が京都の北野天満宮で北野大茶湯を開きました。九州平定を終え、聚楽第の造営を進めていた秀吉が主催した、身分を問わず参加を呼びかける大規模な茶会です。
北野天満宮の境内と周辺には数多くの茶席が設けられました。秀吉自身のほか、千利休、津田宗及、今井宗久らが茶を振る舞ったと伝わります。文化庁の解説によれば、中心となる三つの飾席と四つの茶席が設けられたとされますが、茶席の位置には複数の説があります。茶屋の総数も800または1500と伝わり、正確な規模は定まりません。
北野大茶湯は、茶の湯が限られた大名や有力商人だけの場ではなく、町人や百姓を含む幅広い人々へ開かれた催しとして演出された点に特徴があります。同時に、秀吉が名物茶道具と権威を広く示す政治的な場でもありました。
江戸時代後期には、浮田一蕙が当時の記録をもとに会場を想像した「北野大茶湯図」を描きました。現在の北野天満宮にも太閤井戸や茶席の伝承が残り、献茶祭や月釜を通じて大茶会の記憶が受け継がれています。