1498年9月20日(明応7年8月25日)、東海道沖を震源域とする巨大地震が発生しました。明応地震と呼ばれ、規模はマグニチュード8.2~8.4と推定されています。室町時代の地震であるため観測記録はなく、当時の日記や寺社の記録、地形・津波堆積物などから被害の姿が調べられています。
強い揺れに加えて大津波が沿岸を襲い、遠江、駿河、伊豆から伊勢、志摩、紀伊にかけて大きな被害が出ました。静岡地方では津波による多数の死者が記録され、伊勢の大湊など港町や寺社も被災しました。被害人数には史料ごとの差がありますが、広い太平洋岸を襲った災害だったことは共通しています。
浜名湖周辺では、津波によって湖と遠州灘を隔てていた砂州が切れ、海へ通じる今切口ができたとされます。地震は人々の命や町を奪っただけでなく、交通や漁業に関わる沿岸の地形にも長く残る変化をもたらしました。明応地震は、南海トラフ沿いで過去に繰り返された巨大地震を考える重要な歴史災害です。