1550年8月25日(天文19年7月13日)、毛利元就は、家中で強い権勢を持っていた井上元兼ら井上一族を粛清しました。井上氏は元就の家督相続を支えた有力家臣でしたが、毛利家中で独自の勢力を築き、当主の命令に従わないことがあるとみなされるようになっていました。
粛清は元兼一人だけを狙ったものではありません。前日から井上一族の有力者が各地で討たれ、元兼も元就の命によって殺害されました。一方で、井上氏のすべてが排除されたわけではなく、元就に忠実だった者や毛利氏と近い関係にあった者の一部は家中に残っています。
その後、元就は家臣団に起請文を提出させ、毛利家への服従と結束を誓わせました。これは単なる有力家臣への報復ではなく、国人領主の連合に近かった毛利家を、当主の命令が家中へ及ぶ戦国大名の組織へ変えていく動きの一つでした。井上一族の粛清は、元就が家中の主導権を明確にした大きな転機として位置づけられます。