1597年10月26日、慶長の役のさなか、朝鮮半島南西部の鳴梁海峡で鳴梁海戦が起きました。李舜臣が率いる朝鮮水軍と、藤堂高虎らが加わる日本水軍が衝突した海戦です。
朝鮮水軍は、その約2か月前の漆川梁海戦で壊滅的な打撃を受けていました。当時指揮から外されていた李舜臣は、この敗戦を受けて三道水軍統制使に復帰します。韓国国史編纂委員会の解説によれば、残っていた軍船は十余隻にすぎず、散り散りになった兵を集めて戦力を立て直さなければならない状況でした。
李舜臣は一般に13隻とされる艦隊を率い、潮流が激しく航路も狭い鳴梁海峡で日本水軍を迎え撃ちました。朝鮮水軍は日本側の船を多数損傷させ、海峡を守り切ります。ただし、日本水軍の参加艦数や損害、両軍の死傷者数には史料ごとに大きな差があるため、細かな数字を一つに定めることはできません。
漆川梁で制海権を失いかねない危機に陥った朝鮮水軍は、鳴梁でその存続を確保しました。この海戦は、二度の大きな海戦が短期間に続き、朝鮮半島沿岸の戦況が激しく動いたことを示しています。