1600年10月13日(慶長5年9月7日)、大津城の戦いが始まりました。城主の京極高次は石田三成らの西軍に加わる姿勢を見せていましたが、東軍側へ転じて大津城に籠城します。琵琶湖水運と京都への交通を押さえる大津は、関ヶ原の戦いを前に両軍が無視できない要地でした。
西軍は毛利元康、立花宗茂らの軍勢を大津へ向け、城を包囲しました。高次は攻撃を受けながら守り続けましたが、本丸まで迫られ、関ヶ原本戦の前日に開城します。高次は助命され、のちに徳川家康から若狭小浜を与えられました。
大津城は落ちたものの、包囲に加わった西軍の大部隊は関ヶ原本戦に間に合いませんでした。このため籠城は、東軍の勝利を側面から支えた戦いと評価されています。戦後、大津城は廃され、家康は東海道と湖上交通を押さえる新たな拠点として膳所城を築かせました。