1600年9月2日(慶長5年7月25日)、徳川家康と会津征伐に従軍していた諸大名が、下野国小山で「小山評定」を開いたと伝わります。石田三成らの挙兵を知った家康が、上杉景勝への攻撃を中止し、西へ戻るかを諸将に問い、家康支持で結束したという軍議です。
通説では、福島正則が三成を討つべきだと述べ、山内一豊が掛川城を家康へ差し出すと申し出たことが、諸将の態度を決めたとされます。しかし、こうした劇的な場面は後世の編纂史料によるところが大きく、7月25日に諸将が一堂に会した評定を直接記す同時代史料は確認できないという研究があります。
一方で、前後の書状や諸将の動きから、何らかの協議があったとみる研究もあり、評定の実在と内容をめぐる議論は続いています。家康方の諸将が東国から西へ転じ、関ヶ原へ向かったこと自体は確かです。小山評定は、有名な逸話と同時代史料から確かめられる事実を分けて考える必要がある出来事です。