1588年8月29日(天正16年7月8日)、豊臣秀吉は諸国の百姓が持つ刀、脇差、弓、槍、鉄砲などの武具を提出させる刀狩令を出しました。法令では、百姓が武具を持てば年貢を納めず一揆を企てるため、耕作に専念させるとしています。
提出させた武具は、京都で造営中の方広寺大仏の釘やかすがいに用い、百姓の来世の救いにもなると説明されました。同じ日には海賊停止令も出されており、陸上の一揆と海上の武力を抑え、全国支配のもとに置こうとする政策の一環だったことが分かります。
ただし、この命令によって農村からすべての武器が直ちに消えたわけではありません。地域ごとに実施のされ方は異なり、武具が残る例もありました。それでも、武力を公的な権力が管理し、武士と百姓の役割を分けていく方向を明確にした点で、刀狩令は兵農分離と近世社会の形成を考える重要な法令です。法令が掲げた理念と、各地での実際の実施を分けて見る必要があります。