出来事
大寧寺の変が起きる
1551年9月30日(新暦)
天文20年9月1日(旧暦)
1551年9月30日(天文20年9月1日)、大内義隆が長門の大寧寺で自害し、大寧寺の変が決着しました。事件はこの日の数日前、重臣の陶隆房が旧暦8月28日に挙兵して山口へ進んだことから始まります。義隆との関係を悪化させていた隆房は、前年には安芸の国人へ協力を求めており、準備を進めたうえで当主を倒す政変に踏み切りました。
義隆は法泉寺で防備を固めましたが、味方の離脱が続いたため山口を退きます。長門の仙崎から海路で脱出しようとしたものの果たせず、大寧寺へ入りました。寺では住持から戒を受けた後に自害し、冷泉隆豊ら近臣も抗戦の末に命を落とします。戦火は境内にも及び、大寧寺の堂宇は焼失しました。
隆房はその後、大友氏から晴英を迎えて大内義長と名乗らせ、自らは晴賢と改名して領国の実権を握ります。しかし新体制は安定せず、1555年の厳島の戦いで晴賢が毛利元就に敗れ、1557年には義長も自害しました。大寧寺の変は一日の反乱ではなく、西国の有力大名だった大内氏の支配が崩れ、毛利氏の台頭へつながる起点となった政変です。
出典
大寧寺「大寧寺物語 義隆長門に奔る 第一話 山口落城」: https://www.taineiji.jp/episode/epi_b09.html
山口県「大内義隆主従の墓所」: https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/sp/bunkazai/summary.asp?mid=10036
山口県文書館「令和5年度第8回資料小展示」: https://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/smallexhibition/r05-08.pdf
山口県文書館『第14回中国四国地区アーカイブズウィーク』資料: https://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/archivesexhibition/AW14%20jouhoutokiroku/05.pdf
大寧寺「大寧寺物語 長州法華 毛利元就の祈り」: https://www.taineiji.jp/episode/epi_b12.html