1590年8月30日(天正18年8月1日)、徳川家康は江戸へ入りました。豊臣秀吉の小田原攻めで後北条氏が滅ぶと、家康は三河・遠江・駿河などの旧領から関東へ移されます。江戸城は、広大な新領国を治めるための新たな本拠となりました。
当時の江戸には太田道灌以来の城と町があり、水上交通にもつながる場所でした。一方、城の周辺には日比谷入江や低湿地が広がり、のちの巨大な城下町とは大きく異なります。家康は城の修築を始め、家臣団を配置し、河川の付け替えや埋め立てを伴う町づくりを段階的に進めました。
家康が1603年に江戸幕府を開くのは、入城から13年後です。その後も全国の大名を動員した江戸城の拡張と市街地整備が続きました。8月1日は江戸幕府の時代に「八朔」として重んじられます。江戸入城は完成した都市への移転ではなく、関東支配の拠点を選び、将来の幕府都市を築き始めた日でした。その選択が、のちの東京の都市構造にもつながっていきます。