武将・大名
鄭成功
ていせいこう
- 生年
- 1624年8月27日(寛永元年7月14日)
- 没年
- 1662年
平戸に生まれ福建へ渡る
鄭成功は、天啓4年(1624)に肥前国平戸で生まれ、明から清へ王朝が交代する17世紀の東アジアで活動した武将です。父は福建出身の海商・鄭芝龍、母は平戸の日本人女性・田川マツとされます。幼名を福松といい、7歳ごろまで平戸の川内浦で過ごした後、父の故郷である福建へ渡りました。
父の芝龍は中国沿岸と日本・東南アジアを結ぶ海上交易で勢力を築き、明朝から官職を与えられました。成功は中国で教育を受け、鄭森と名乗って明の皇族・隆武帝に仕えます。皇帝と同じ朱姓を授けられたことから「国姓爺」と呼ばれ、「成功」の名も与えられました。
明の復興を掲げた海上勢力
清軍が中国南部へ進出すると、父芝龍は清へ降りましたが、鄭成功は明の復興を掲げて抵抗を続けました。福建沿岸の厦門や金門を拠点に、水軍と広域の交易網を組み合わせて勢力を維持します。成功の軍事力は海上交易から得る物資と財源に支えられており、単なる反乱軍ではなく、東アジアの海域を基盤とする政治・軍事勢力でした。
永暦15年(1661)、成功は新たな根拠地を求めて台湾へ渡り、オランダ東インド会社が守るゼーランディア城を包囲しました。翌年、オランダ側を降伏させ、台湾に鄭氏政権の基礎を築きます。ただし、台湾には先住民社会や漢人移住者が存在しており、「解放」という一面的な言葉だけでは捉えられない支配の交代でした。
日本・中国・台湾に残る記憶
鄭成功は台湾制圧と同じ1662年、39歳で病没し、事業は子の鄭経へ引き継がれました。平戸には居宅跡や生誕地と伝わる児誕石が残り、中国では反清復明の武将、台湾ではオランダ勢力を退けた人物として記憶されています。
日本では近松門左衛門の人形浄瑠璃『国性爺合戦』によって物語化されましたが、作品の和藤内と歴史上の鄭成功は同一ではありません。平戸で生まれ、福建沿岸の交易世界で育ち、台湾へ政権を移した生涯は、近世初期の日本・中国・台湾・ヨーロッパ勢力が海を通じて結ばれていたことを示しています。
別名
- 通称 国姓爺
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