1640年9月23日(寛永17年8月8日)、伊達綱宗は仙台藩2代藩主・伊達忠宗の六男として生まれました。幼名は巳之助といいます。生まれた時点では家督から遠い立場でしたが、兄たちが相次いで早世したため世子となり、将軍徳川家綱から一字を受けて綱宗と名乗りました。
1658年に忠宗が亡くなると、綱宗は18歳で仙台藩3代藩主を継ぎます。しかし在任は2年ほどにとどまり、1660年に幕府から隠居を命じられました。理由について幕府側は綱宗の行状を問題としましたが、伊達家中の対立や幕府との政治関係を重く見る説もあり、背景は一つに定まりません。
家督を継いだのは数え2歳の嫡男・亀千代、のちの伊達綱村でした。幼い藩主をめぐる後見と家中対立は、後の伊達騒動へつながります。一方、綱宗は約50年に及ぶ隠居生活で絵画、書、和歌、工芸に取り組み、多くの作品を残しました。六男としての誕生から藩主、そして長い文化人生活へ転じた、変化の大きい生涯でした。