1627年8月30日(寛永4年7月20日)、伊藤仁斎は京都堀川の商家に生まれました。父は学問を好む人物で、仁斎も幼いころから儒学を学びます。武家の家臣や幕府の官学者としてではなく、京都の町人社会に生まれ育ったことは、その後に自宅で私塾を開く道へつながりました。
仁斎は当初、朱子学を学びましたが、やがてその解釈に疑問を持ちます。そして『論語』『孟子』の本文と、そこで用いられる言葉の意味へ立ち返ることを重視し、古義学を唱えました。抽象的な理論よりも、人と人との関係や日常の実践に根ざした倫理を読み取ろうとした点に特徴があります。
1662年ごろ、仁斎は堀川の自宅に古義堂を開きました。武士だけでなく町人にも門戸を開き、多くの門人を育てます。長男の東涯が学問と塾を受け継ぎ、古義堂は明治期まで続きました。京都の商家に生まれた一人の学者の誕生は、町の私塾から全国へ広がる学問の流れの出発点となりました。学問を特定の身分だけに閉じなかった点も重要です。