文化人・僧侶
伊藤仁斎
いとうじんさい
- 生年
- 1627年8月30日(寛永4年7月20日)
- 没年
- 1705年
京都の町人社会に生まれた儒学者
伊藤仁斎は、寛永4年(1627)に京都・堀川の上層町人の家に生まれた儒学者です。幼いころから学問を好み、10代には当時の儒学の中心だった朱子学を学びました。しかし学びを深めるにつれ、後世に組み立てられた理論よりも、孔子と孟子が残した言葉そのものから人間と社会を考えるべきだと考えるようになります。29歳ごろには病を機に別宅へ退き、自らの思想を練り上げました。
仁斎が重視したのは、日常の人間関係のなかで働く道徳と感情です。抽象的な原理を先に置くのではなく、『論語』『孟子』の語句を丁寧に読み、古代の言葉が持っていた意味へ戻ろうとしました。この学問は、後に古義学と呼ばれます。
古義堂と堀川学派
寛文2年(1662)、36歳の仁斎は堀川通下立売付近の自宅に私塾「古義堂」を開きました。身分や藩への仕官を学問の前提とせず、公家や武士だけでなく町人にも門戸を開いた点に特徴があります。講義と対話を通じて古典を読み解く仁斎のもとには、多くの門人が集まりました。その一派は所在地にちなみ堀川学派と呼ばれ、門人は京都で教育や医療に携わったほか、各地の藩にも仕えました。
仁斎は『論語古義』『孟子古義』『童子問』などを著し、自らの読み方を体系化しました。朱子学を批判したことだけが重要なのではなく、儒学を政治権力の理論に限定せず、日々を生きる人間のための学問として捉え直したところに独自性があります。
子孫へ継がれた学問と史跡
仁斎は宝永2年(1705)に亡くなりました。古義堂は長男の伊藤東涯が継ぎ、仁斎の5人の息子はいずれも学者として活動します。その後も伊藤家の家塾として明治時代まで続き、仁斎の思想と膨大な蔵書を伝えました。
古義堂の建物のうち、仁斎在世中の書庫と伝わる古義堂文庫などが現在も京都に残っています。旧宅は国の史跡に指定され、江戸時代の京都で町人が学問を担い、藩校とは異なる知の拠点を築いた歴史を伝えています。
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