1544年9月27日(天文13年9月11日)、竹中重治は竹中重元の子として美濃国大野郡大御堂に生まれました。通称の半兵衛で広く知られます。父の重元はのちに不破郡へ勢力を広げて菩提山城を本拠とし、重治もこの城を継いで美濃と近江の境を基盤に活動しました。
重治は斎藤氏に仕えた後、織田信長のもとで羽柴秀吉に属し、調略や播磨・中国方面の攻略に携わります。黒田孝高と並ぶ秀吉の「両兵衛」、万能の名軍師として語られてきましたが、稲葉山城奪取や秀吉の「三顧の礼」など、よく知られる物語には後世の軍記で形づくられた部分も多くあります。
同時代に確認できる重治の活動は限られるものの、秀吉の中国攻めに従い、三木城包囲の陣中で働いたことは、その立場を示しています。1579年、病を得て36歳で亡くなりました。重治の誕生日は、伝説化された「軍師」の出発点としてだけでなく、美濃の国衆の家に生まれた人物が、織田政権の西国攻略を支える位置へ進んだ歩みを見直す日でもあります。