1603年9月15日(慶長8年8月10日)、徳川頼房は徳川家康の十一男として伏見城で生まれました。生母はお万の方で、幼名を鶴千代といいます。この年、家康は征夷大将軍に任じられており、頼房は徳川氏が幕府を開いた年に誕生した子でした。
頼房は3歳で常陸国下妻10万石を与えられ、1609年には7歳で水戸へ移されます。水戸は江戸の北東に位置する要地で、頼房は家康の子として東北の外様大名に備える役割を担いました。のちに35万石となった水戸藩は、尾張・紀伊と並ぶ徳川御三家の一つに位置づけられます。
頼房の長男・頼重は別家して高松藩主となり、水戸家は三男の光圀が2代藩主として継ぎました。光圀は『大日本史』の編纂を始め、「水戸黄門」の名でも知られます。頼房の誕生は、一人の藩主の出発点であるとともに、水戸徳川家と高松松平家という二つの大名家へ続く家系の始まりでもありました。