1596年11月16日(慶長元年9月26日)、筑前国の戦国大名・秋月種実が亡くなりました。種実は大友氏との戦いで古処山城を失った秋月氏を再興し、北部九州へ勢力を広げた人物です。
種実は幼いころに父と兄を失い、毛利氏を頼って周防国へ逃れました。その後、毛利氏の支援を受けて秋月へ戻り、古処山城を奪還します。大友氏の勢力が耳川の戦い後に衰えると、島津氏などと結んで筑前・豊前・筑後へ進出し、秋月氏の最盛期を築きました。
しかし1587年、豊臣秀吉の九州平定軍を前に降伏します。秋月氏は本領を失い、嫡男・種長が日向国財部3万石へ移されました。種実も一族や家臣とともに日向へ移り、家督を種長へ譲って晩年を過ごします。秋月氏は種長を祖とする高鍋藩主家として、江戸時代を通じて存続しました。
種実の死没地は京都とする説と高鍋とする説があり、生年にも複数の説があるため、没年齢は定まりません。その死は、北部九州に大勢力を築いた戦国大名の時代が終わり、秋月家が日向の近世大名家として歩み始める境目に位置します。