1610年10月14日(慶長15年8月28日)、尼子義久が亡くなりました。71歳でした。義久は1560年に父・晴久の急死を受け、出雲国月山富田城を本拠とする尼子氏の当主となりました。しかし、毛利元就の出雲進攻により、尼子氏の領国は次第に切り崩されていきます。
1565年から月山富田城を包囲され、兵糧不足と家臣の離反が進むと、義久は翌1566年に開城して毛利氏へ降伏しました。これにより、戦国大名としての尼子氏は滅亡します。義久と弟たちは安芸へ移され、その後は毛利氏の保護下で暮らしました。
山中幸盛らが尼子勝久を立てて進めた尼子再興運動に、義久は加わりませんでした。毛利氏の客分として江戸時代初期まで生き、その子孫は長州藩士として続きます。義久の死は、月山富田城の開城から44年を経て、かつて中国地方で大きな勢力を持った尼子宗家最後の当主が生涯を閉じた出来事でした。