命日

荒木又右衛門が亡くなる

1638年10月5日(新暦)

寛永15年8月28日(旧暦)

荒木又右衛門の人物画像

1638年10月5日(寛永15年8月28日)、剣術家の荒木又右衛門が亡くなったとされています。又右衛門は、1634年に伊賀上野の鍵屋の辻で、義弟の渡辺数馬が河合又五郎を討つのを助太刀した人物です。この仇討ちは後に講談や歌舞伎で脚色され、又右衛門の名を広く知らしめました。

仇討ちの後、又右衛門らは津藩の藤堂家に預けられました。幕府の裁定を経て、数馬の主家である鳥取藩池田家に引き渡されることになり、1638年8月に鳥取へ入ります。鳥取地方検察庁の解説にも、藩を挙げて迎えられたことが記されていますが、又右衛門は到着からわずか17日後に急死したとされます。

死因を明確に示す記録は残っておらず、毒殺、切腹、病死のほか、実は生き延びたという説まで生まれました。一般には1638年没とされる一方、最期の実像は定まりません。又右衛門の死は、鍵屋の辻の事実が「36人斬り」などの物語へ変わっていく、その入口にもなりました。

出典

平凡社『改訂新版 世界大百科事典』「荒木又右衛門」(コトバンク): https://kotobank.jp/word/荒木又右衛門-27718 鳥取地方検察庁「荒木又右衛門と鳥取」: https://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/tottori/kouhou_shirasetai_00004.html 鳥取市歴史博物館『荒木又右衛門と鳥取―伊賀越え仇討始末』書誌情報(国立国会図書館サーチ): https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I026953363 荒木又右衛門顕彰会「荒木又右衛門と鳥取」: https://mataemon.jimdofree.com/ Wikipedia「荒木又右衛門」: https://ja.wikipedia.org/wiki/荒木又右衛門