命日

朝倉宗滴が亡くなる

1555年9月23日(新暦)

天文24年9月8日(旧暦)

1555年9月23日(天文24年9月8日)、越前朝倉氏の宿老・朝倉宗滴が一乗谷で亡くなりました。数え79とされます。本名は教景といい、宗滴は法名です。長年にわたり朝倉貞景・孝景・義景の3代を支え、領国の防衛と周辺地域への軍事介入を指揮しました。

宗滴は1506年、加賀などの一向一揆勢が越前へ攻め込んだ際、朝倉軍を率いて九頭竜川周辺でこれを退けました。その後も近江や若狭の争いへ出兵し、敦賀郡司として越前南部を押さえます。朝倉氏が一乗谷を中心に領国を維持できた背景には、宗滴の長い実戦経験と、一門・家臣をまとめる立場がありました。

最晩年の1555年にも、宗滴は加賀一向一揆との戦いへ出陣します。しかし陣中で病に倒れ、一乗谷へ帰還した後に亡くなりました。朝倉義景は当主となってまだ7年ほどで、家中は軍事的な支柱を失うことになります。宗滴の死は直ちに朝倉氏の衰退を決めたわけではありませんが、3代にわたる経験を一身に蓄えた宿老が去った大きな節目でした。

出典

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館「朝倉氏略年表」: https://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/files/uploads/history_timeline_1.pdf 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館「一乗谷・朝倉氏の歴史」: https://asakura-museum.pref.fukui.lg.jp/site/history Wikipedia「朝倉宗滴」: https://ja.wikipedia.org/wiki/朝倉宗滴