命日

足利義澄が亡くなる

1511年9月6日(新暦)

永正8年8月14日(旧暦)

足利義澄の人物画像

1511年9月6日(永正8年8月14日)、室町幕府第11代将軍だった足利義澄が、近江国の水茎岡山城で亡くなりました。義澄は1493年の明応の政変で、細川政元らが10代将軍・足利義材を追放した後、その後継者として擁立された人物です。

しかし、将軍となっても政治の実権は細川政元が握り、両者の関係は次第に悪化しました。政元が暗殺されて細川氏が内紛に陥ると、前将軍の足利義稙が大内義興の軍勢とともに上洛します。1508年、義澄は京都を追われ、近江の大名を頼って将軍職への復帰を目指しました。

1511年、義澄を支持する細川澄元方の軍勢が京都へ迫りましたが、そのさなかに義澄は病没します。直後の船岡山合戦では義稙方が勝利し、義澄自身の復権は実現しませんでした。一方、義澄の子・義晴はのちに12代将軍となり、別の子・義維も阿波を拠点に将軍候補として活動します。義澄の死は、将軍家の争いを終わらせず、次の世代へ引き継ぐ節目となりました。

出典

https://www.city.yasu.lg.jp/material/files/group/51/nenpyo.pdf https://ja.wikipedia.org/wiki/足利義澄 https://ja.wikipedia.org/wiki/船岡山合戦