命日

堀尾忠氏が亡くなる

1604年8月28日(新暦)

慶長9年8月4日(旧暦)

堀尾忠氏 の人物画像

1604年8月28日(慶長9年8月4日)、堀尾忠氏が亡くなりました。忠氏は堀尾吉晴の嫡男で、関ヶ原の戦いでは徳川方に属しました。戦後、堀尾家は出雲・隠岐を与えられ、忠氏が当主として月山富田城に入りました。

月山富田城は山城で、領国経営や城下町の発展を考えると必ずしも便利な場所ではありませんでした。忠氏は新しい城地への移転を幕府へ願い出て許可を得ますが、新城の本格的な建設を見る前に急死します。家督を継いだ忠晴はまだ幼く、祖父の吉晴が後見することになりました。

堀尾家はその後、宍道湖と大橋川に近い末次を新たな城地に選び、1607年から松江城と城下町の建設を進めます。忠氏自身は完成した松江城へ入ることができませんでしたが、富田から新たな拠点へ移る方針は次代へ引き継がれました。その死は、父から幼い子へ領国建設の責任が移った節目でした。忠氏の構想は、本人の死後に現在の松江につながる都市の形になっていきます。

出典

https://ja.wikipedia.org/wiki/堀尾忠氏 https://www.city.matsue.lg.jp/material/files/group/34/02_kankyou.pdf https://www.city.matsue.lg.jp/material/files/group/32/zennbunn.pdf