1594年10月8日(文禄3年8月24日)、石川五右衛門が京都で処刑されたとされています。公家・山科言経の日記『言経卿記』のこの日付の条には、盗賊の一団が捕らえられ、京都で釜煎りなどの刑に処されたことが記されています。五右衛門の実像を考えるうえで重要な、同時代に近い記録です。
一方、スペイン人アビラ・ヒロンの『日本王国記』にも、都を荒らした盗賊の頭目と一族が厳しい刑に処されたという記述があります。ただし、記録された年や五右衛門の名の有無は資料ごとに一致しません。処刑日にも同年12月12日説などがあり、10月8日を唯一確実な日付とは断定できません。
五右衛門を伊賀の忍者、豊臣秀吉を狙った義賊とする物語や、釜の中で子を高く掲げたという場面は、後世の浄瑠璃、歌舞伎、講談によって形づくられました。史料から確認できるのは、京都で盗賊が集団処刑されたという限られた輪郭です。その不確かさこそ、実在の人物が大盗賊の伝説へ変わった過程を物語っています。